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雑記館

blitzkrieg.exblog.jp

変わり者が綴る備忘録。

平成25年最後の投稿は昨日観劇した映画「永遠の0」について。(長いよ)

涙腺の緩い小生、不覚にも何度も目頭が熱くなってしまいました。

もともと原作のファンなんですが、期待にたがわぬ内容でした。夏八木勲さんの遺作でもある本作ですが、夏八木さんが作中最終盤で言ったセリフが胸に残っています。逝去された方がいうから…というわけではありませんが、まるで遺言のような印象を受けました。...

あの時代を生きたすべての日本人に物語があり、これからも続く物語の中に我々がいます。しかし敗戦から半世紀以上経ち、我々はどれだけあの戦争の事を知っているのだろうか。劇中、三浦春馬さん演じる主人公の一人、健太郎の友達が言っていたように遠い過去の理解不能な出来事、ともいうべき認識しかないのかもしれない。

それじゃあだめだ。

ここのところ旅行先で戦争中の遺構や資料館をよく訪れています。最初は元々趣味でミリタリーなことが好きだから行っていました。しかし、最近はちょっと違います。敗戦から半世紀以上経ったいま見に行かないと無くなってしまうんじゃないか。見て、聞いて、伝えていかなきゃならんじゃないか。そういうように考えるようになったからです。

先日は山口県徳山市にある人間魚雷「回天」の資料館に行きました。

そこで目にしたのは、特攻に赴くにあたり書かれた家族などへの遺書。ひとりひとりに人生があり、20代を中心とした若者たちの文章には「天皇陛下万歳」「悠久の大義」という言葉の裏に隠された家族への痛烈な思いが垣間見え、彼らが何を守るために戦場へ赴いたかが伝わってきました。

特攻などという「統帥の外道」の作戦、いや作戦ですらない愚挙。それでも、戦場に赴いた若者たちの思いを我々日本人は忘れちゃいけない。そんな気持ちがこの映画を見てあらためて思い起こされました。

年末の最後の最後に長々とすみませんでした。平和に感謝し、来年が平和な年になるように。皆様、良いお年を。

http://www.eienno-zero.jp/index.html
# by admiral-fukuchan | 2014-01-05 00:04 | 趣味全般
ずいぶん久しぶりの日記更新になってしまいました…。

昨日行われた、今シーズン最終戦・山崎武司選手の引退試合を観戦してきました。

大好きな平田選手のHRや、山崎選手のヒットなど、大興奮の試合でしたが最後はあえなく惜敗。開幕の横浜戦も観に行きましたが、今シーズンは横浜に始まり横浜に終わった…と、言う感じでしょうか。

山崎選手の引退試合を勝利で飾ってやれなかったこと、これは残されたチームのみんなが重く受け止めるべきと思います。倍以上の安打を放っていながらも、詰めの甘いところが随所に見られました。

しかし、終戦後にスタンドから高木監督に浴びせられた罵詈雑言の数々は同じドラゴンズファンとして悲しく思いました。

敗軍の将が自らの責任を認め、大観衆の前で首を垂れる。2年間、確かに迷采配は多かったしBクラスの責任からは免れないが、一人の男が、それも血気あふれる歴戦の戦士が頭を下げることの重大さをファンはもっと真摯に受け止めるべきだ、と思いました。

続いての山崎選手引退セレモニー。試合中から山崎選手のひとつひとつのプレーへ大歓声が贈られ、このセレモニーで最高潮を迎えました。

実は昨日、ちらほら楽天ファンの姿がナゴドで見かけられました。普段応援するチームは違っても、同じ山崎武司という人間を、選手を愛し、わざわざ東北からいらっしゃったのでしょう。その事実に自分は感動したものです。

楽天では山崎選手が中心的な役割を果たしたと聞いています。その後輩たちが今年、球団初のリーグ優勝という栄冠をつかみました。引退スピーチでも東北のみなさんへの気持ちを山崎選手が語っていましたが、楽天は東北の希望の星になったのです。

方やドラゴンズも負けてはいられません。才能や行き当たりばったりではなく、考えてプレーする。山崎選手の教えを心に刻み、若竜たちの奮起を期待します。

そして、新監督のもと、今シーズンの屈辱を晴らして優勝、そして日本一をつかみ取ってください。

山崎選手、ありがとうございました。
高木監督、ありがとうございました。
そしてドラゴンズの選手の皆さま、ありがとうございました。

長い、長い冬がきます。
でも、その先に必ず春があります。

その時まで今は雌伏の時です。来年は逆襲です。
1年間、おつかれさまでした。
# by admiral-fukuchan | 2013-10-08 00:10 | 趣味全般
人を愛するという感覚が判らない。

幸せな人が、その想い人への想いを言葉なり行動なりで示しているのを見た時、自分の感覚に落とし込むことができない。

それなりに人を好きになったこともある。でも、冷静になって考えてみると自分からの一方的な想いだったり、舞い上がっているだけだったりして、到底「愛する」という境地には達していないと思う。

カッコいいことを言っていても、それは自分を鼓舞し、騙しているだけ。

だから自分自身がたまに欠陥品だと思う時がある。人としての感覚が欠如してるんじゃないかと。1人で熱狂はできても、共に歩むことができない。

他人にやさしいように見えても、それは嫌われるのを恐れているから。だから誰にでも良い顔をする。ただやさしいだけじゃ、人はふりむかないのに。

本当に身命を賭して想う人に出会えるのだろうか。出会える?違うな、出会えたとしても、そう想うことができるか?

わからない。
# by admiral-fukuchan | 2013-06-15 04:07 | 日常生活
お人よしは何処まで行っても、お人よし、か。

なら…それを究めてみるのも悪くない。


俺ほどの人間が、無粋な、悪意を以てして人の不幸と自分の幸せを祈るか?

そんな無様なことできるか!!

俺は自分の為に友に尽くすのだ。

そうだ、友の喜ぶ顔こそ俺の幸せなのだ。

たかだか26年ばかりの人生で出した答えだが、この答えを終生忘れんぞ。
# by admiral-fukuchan | 2013-01-05 20:16 | 日常生活
出会えて本当に良かったと言える人がいるということは幸せな事。

溶けゆく思考の中で、散り散りに乱れる言葉の中で、ただ一つ、確固たる言葉。

それは、「感謝」。

本当にありがとう。俺は救われたよ。そう心に言い聞かせて。

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何年も何年も思考したことを一朝一夕で決着をつけることなんて出来ない。

しかし、いつか決着はつけなければならなかったのだし、この結末はいつか迎える結末だったのだ。

今のこの乱れる思考も、いつか通過しなければならない思考だったのだ。

かの人は俺をその思考へ突き落さず、手を携えて顔を向けてくれた。

そんな感じがする。だから、きっと、俺は救われたのだ。
# by admiral-fukuchan | 2013-01-05 01:24 | 日常生活

by admiral-fukuchan